下関中国武術・武術太極拳愛好会

下関市内で中国武術・武術太極拳(カンフー)をやってます。

先生と武術との出会い その三

 

嫁が、他の人に聞いてみようと言ったのですが、子供の次の試合もあるため、

「ええよ、ええよ。」

と言って体育館を出ました。本当は聞きたかったのですが…。

 


 サッカーの全試合が終わり、帰りがけに嫁が、

「私がもう一回行ってきちゃろうか?」

と言ってくれたのですが、さっきの件で面倒くさくなり、

「もうええっちゃ!」

と言ってそのまま帰宅しました。 

それから2、3ヶ月が過ぎたある日、二胡を習っていた実家の母親から電話がかかってきました。

 

 

それは、母親の二胡友達に太極拳を習っている人がいるとの連絡でした。 

ただ、その人の教室は普通の日の昼間にやっていて、仕事上通うのは到底無理でした。 

逆に、

「そんな時間無理に決まっとるやろうが!」

と電話で、母親に逆ギレしてしまいました。

先生と武術との出会い その二


嫁も一緒にいて、「あれパパが前からやりたいって言ってたやつやない?」って。 

確かにそうでしたが、どうすればいいか分かりませんでした。

体育館のロビーでは集体の太極剣を練習している人達がいました。

 


すると嫁が

「私がどこでやりよるか聞いてきちゃる!」

と。 

それは情け無いので、自分で聞いてみようとある年配の女性に

「あの〜…」

って話しかけたんです。 

すると

「今練習中だからやめて!」

 もう一人が間髪入れずに

「今集中してるんだから!」

と言われ、すみませんと謝りその場を離れました。

先生と武術との出会い その一

 

 僕が初めて先生におそわったのは八段錦です。


実は10年前ぐらいに精神病を患い、二年間引きこもった後会社を退職し、その後何とか社会復帰しました。


病み上がりで何か身体を動かすことがしたいと思い、以前から太極拳をしたいと思っていましたがどこでやってるかネットでさがしても分かりませんでした。


ある日、子供のサッカーの試合観戦するために市の運動公園に行きました。試合の合間に散歩しているとそこには体育館も有り、何気なく入ってみたんです。


するとビックリ、武術太極拳の交流会が開かれていました。

山口県大会 無事終了しました。

 日曜日に岩国市総合体育館で開催された、第 20 回武術太極拳山口県大会が無事終了しました。

 

下関からの参加者は、下関武術隊をはじめ太極拳組もほとんどの方が賞を受賞することが出来ました。

 

また、短い練習期間の中 今回県大会初出場だった子どもたちの表演する姿がとても頼もしく素晴らしかったです。

 

頑張った少年少女拳士たちの動画をFacebookページに掲載しました。

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Facebook URL
https://www.facebook.com/shimonosekitaichiclub/

今後に期待です!

写真は出場順になります。

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県大会前なのに、膝にかなりの痛みが…

以前から違和感はあったのですが、土曜日の武術の練習後に右足の膝の外側にかなりの痛みを感じ、体育館の階段を下りるのもやっとでした。


翌日からは太ももの裏にも痛みが出て、左の足も右ほどではないものの、多少の痛みを感じます。


今週の日曜日には武術太極拳山口県大会があり、気になったのでネットで調べたところ、腸脛靭帯(ちょうけいじんたい)の緊張による太ももや腰、ひざの外側に沿って痛みを感じる腸脛靱帯炎の症状にそっくり。

 


最近腰痛は結構良くなっていたのに…。

 


ストレッチが一番の治療法らしいですが、病院行った方が良いかなぁと思いますが、おそらく今日も残業です。

「勝手に自分の人生を振り返る 」学生・社会人編

  先生との出会いはもう少し先になります。


 高校入学時はウエイトリフティング部に入っていたのですが、空手との両立が出来ずすぐに辞めてしまいました。


(ちなみに中学の時は柔道部に入部して両方頑張っていたのですが、身体が小さく骨折等の怪我が多く顧問の先生から部活を見直した方が良いと言われ、2年で退部。)


結局両方やめてフラフラ遊ぶのが楽しくなってしまい、何も運動しなくなりました。


高校卒業後、地元の大手造船所に入社。会社のバトミントン部に入ったのですがこれも続かず。


仕事は今改めて思い出すと、とても過酷で研修後の現場配属になってから体重が一時10キロ落ちました。


20代の頃はまだ元気があって、仕事終わりにパチンコに行ったり、飲みに出たりしてなんとか鬱憤を晴らしていましたが、30過ぎると何かと責任を持たされ、いつもクタクタ。
休みの日はまだ子供が小さかったので、色んな場所に連れて行きました。


だから今思うのですが、この頃に中国武術に出会えてたとしても、体力的にも精神的にも習うことは無理だったと思います。


次回は、会社退職編。

 

勝手に自分の人生を振り返る その3

 その後はクチコミなどで道場の人数も増え、週に3日の練習をしていました。

型も色々覚え、山口県内で開催される大会ではほぼ入賞出来るようになり、山口県体育大会では5位に入ることが出来ました。

この頃は空前のジャッキーブームでどっぷりはまり、さらに少林寺やベストキッドなどの格闘映画にのめり込んで行ったのです。

最終的には高校1年生まで空手を続け、少年二段から一般初段に変更して頂き、やめることにしました。

 

次回ぐらいから、いよいよ宋先生との出会い編に突入しそうです。

 

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